ブラック企業から逃げたら、人生が動き出した。

こんにちは。元ナンパ師のKYです。

以前、こんなポストをしました。

僕、20歳の時に上京してとある中小企業に勤めたのですが、

その職場が、まあめちゃめちゃブラックな会社だったんですよ。笑

マジで寝る暇もなかったし、きつかった。

僕が上京した時、会社の社長から「会社の近くに住め」と言われて、その近くに住むことになったんですけど、今考えると、会社の近くに住ませる理由なんてシンプルなんですよね。

終電を気にしなくていいし、交通費も出さなくていい。

そういうブラックな理由だったんだと思います。

ということで、今回は少しだけ自分語りをさせてください。

僕のブラック企業時代。

社会人1年目、20歳の時から、23歳で一番最初の会社を辞めた時までのお話です。

目次

地元で過ごした20年間と、専門学校に進んだ理由

僕はもともと東京出身ではありません。

地元は他県で、そこで20年間過ごしていました。

プロフィールにも書いているんですけど、地元ではめちゃめちゃいじめられていたんですよね。

いじめというか、不快ないじりというか。

中高では6年間、陸上競技をやっていました。

ただ、陸上そのものの練習よりも、人間関係の方がきつかったんですよ。

何度も辞めたいと思っていたし、実際に休みがちになった時期もありました。

でも当時は、あらゆる先生から「部活を辞めると内申点が下がるよ」みたいなことを言われていたんですよね。

今考えると、根も葉もない話。

先生側からすると、部活を辞められると印象が悪いとか、進学先からの見え方が悪いとか、そういう事情もあったのでしょう。

当時の僕は、そういう言葉を真に受けていました。

高校も偏差値33ぐらいの高校でした。

大学に行く人もいたけど、いわゆるFラン大学に行く人もいたし、お金がないから高卒で就職したり自衛隊に行く人もいました。

地元に残って、そのままデキちゃった結婚をする人もいたし、繁華街が近かったこともあって、風俗の方に流れてしまう人もいました。

そういう混沌とした環境の中で、僕は専門学校に進みました。技術職の資格が取れる学校です。

ただ、その専門学校に進学した理由も、別に明確な夢があったわけではありませんでした。

中高は部活漬けで、進学について深く考える時間もなかった。

当時はリーマンショックの後で、景気が悪かったんですよ。

大卒の就職率も悪いと言われていた時代で、世の中的にも「手に職をつけよう」という空気がかなり強かった。

その専門学校の業界も、「手に職がつく」「独立開業も可能です」みたいな触れ込みで紹介されていました。

ただ、ネットでその仕事について調べると、ブラックな業界とか、そういう言葉も出てきたんですよ。

でも当時の僕は、「いや、俺は大丈夫でしょ」とタカを括ってました。

今思えば、全然よく考えていなかったんですよね。

その仕事が本当にしたかったというより、考える時間がなくて、ラクをしたかった。

親から「あんた手先が器用だし、ものづくりの仕事をしたら」と言われて、それで進んだのがその仕事でした。

だから今振り返ると、自分で考えることをほぼ放棄していただけでした。

専門学校デビューに失敗して、どんどん居場所がなくなった

専門学校に入って、僕は入学3日目ぐらいに、専門学校デビューをしたくて女の子に告白したんですよ。

そしたら、案の定フラれましてね。笑

そこからクラスでめちゃめちゃ気まずくなりました。

その専門学校は1クラスしかなかったんですよ。

学年も2学年しかないような狭い環境で、逃げ場がない。

しかも、その子はすぐ別の彼氏を作りました。

そこで僕も、向こうから見たらストーカーじみた行動をしてしまったんだと思います。

その結果、クラスの中で浮いた存在になってしまいました。

さらに2年生の時には、めちゃめちゃ厳しい先生に当たりました。

厳しいというか、えこひいきする先生だったんですよ。

成績がいい人と悪い人で、態度があからさまに変わるような先生でした。

僕は告白の件で完全に意気消沈していて、勉強にも全然やる気が出なくなっていました。

授業にもついていけなくなって、成績もどんどん悪くなっていった。

そして、その先生に目をつけられるようになりました。

実技の実習があったんですけど、先生が怖くて手が動かなくなり、よく怒られていましたね。

そのせいで、もうほぼトラウマみたいになっていたんですよね。吃音にもなったし。

逃げるように選んだ会社が、後のブラック企業だった

そんな時に、学校に求人が来ていました。

その求人を出していた会社が、僕が後に入る会社です。

僕には東京方面に親戚がいたので、毎年東京には行っていました。

その繋がりもあって、その会社に見学へ行くことになりました。インターンみたいに見学させてもらったんです。

その会社は、パートさんも含めて17人ぐらいの職場。

いわゆる「アットホームな会社」です。

まあ、お察しの通り、アットホームとは言い換えれば過干渉な空気、ブラック臭もあったわけですけど、当時の僕にはそれが見抜けませんでした。

見学に行った時、その会社の人たちはめちゃめちゃよくしてくれたんですよ。

まだ入社もしていないのに、ほぼ内定みたいな感じでご飯をおごってくれたり、飲み会に参加させてもらったりしました。

僕はお酒を飲んでいませんでしたけど、「もう、ウチ入るでしょ?w」みたいな感じで言われていたんです。

その会社は、業界の中でも結構有名なものづくりをしている会社でした。実際に業界雑誌へ寄稿している人もいましたし。

ただ、僕がその会社に入った理由は、

厳しい専門学校の環境。

自分で招いてしまった人間関係の気まずさ。

学校に行くのも嫌で、人生が辛いと感じていた時期。

そんな時に、ふと現れたのが、自分に優しくしてくれる人たちだったんですよね。

そうなると、そんな僕に優しくしてくれる人はやたら魅力的に見えます。

だから僕は、まるでマルチ商法に引っかかる人みたいなルートを歩んでしまったんだと思います。

マルチ商法って、上京したばかりの人とか、友達が少ない人に対して優しくして、つけ入るじゃないですか。

あの感覚に近かったんですよ。

詐欺に引っかかる人とか、悪徳宗教や新興宗教に引っかかる人みたいな感じで、まんまと騙されちゃったんです。

逃げるように上京

その会社の採用試験も、トントン拍子に進みました。

同時に学校も卒業して、僕はそのまま逃げるように地元を出ました。

専門学校時代の友達は、卒業旅行みたいなものに行ったらしいんですけど、僕は全然声をかけられませんでした。

そもそも行く気もなかったです。

最後の方は、専門学校時代の人間関係もほとんどなくなっていました。

今でも専門学校時代に繋がっている友達は1人もいません。

そんな感じで、僕は逃げるように上京しました。20歳の時です。

そして、その会社に入社した初日に、いきなりヤバいことが起こりました。

社員の1人が残業しすぎておかしくなってしまい、パートのおばさんに仕事で使う工具を向けたんです。

手を出したわけではないけれど、脅すような形になってしまった。

「俺に構うな!忙しいんだよ!!」みたいな感じで怒ってしまったらしいんですよね。警察沙汰にはなりませんでしたけどね。

ただ、そのパートのおばさんは、そのまま辞めてしまいました。

一方で、その社員さんはかなり主力の社員だったので、形だけの30日ぐらいの謹慎処分が解かれて、早々に戻ってきました。

入社初日にそんなことが起きる会社だったんです。

アットホームな会社の正体は、ただのブラック企業だった

その会社はアットホームな雰囲気をウリにしていました。

でも裏を返せば、ただの過干渉な会社であり、普通にブラック企業。

まず、求人には初任給18万円と書いてあったのに、謎に16万円でした。

給料はそこから辞めるまでずっと16万円。

東京の最低賃金が上がった関係なのか、最後の年だけ18万円に上がりました。

年末調整でお金が返ってくるじゃないですか。普通はせいぜい1,000円とか、そのぐらいだと思うんですけど、僕の会社は給料が少なすぎて、還付金で7万円ぐらい返ってきたんですよ。

それがほぼボーナスみたいな感じでした。

今思えば、完全な低所得者。

年収で言えば、240万円もいっていなかったです。

しかも恐ろしいのが、サービス残業がめちゃめちゃあったことです。把握してるだけでもだいたい月100時間ぐらいはありました。

僕のやっていた仕事は単価が低くて、とにかくたくさん仕事をしなければいけない職人の世界でした。

いわゆる職人気質の世界なので、上下関係もめちゃめちゃ激しかったんですよ。

先輩の言うことは絶対、みたいな空気。

現場のリーダーは当時33歳ぐらいの男性で、社長のお気に入りの社員で、その人が現場では絶対的な存在で、めちゃんこ怖かったんです。

深夜0時まで仕事するのはデフォルト。忙しいと深夜3時とか4時まで仕事していました。

でも僕は会社の近くに住んでいたので、終電を気にする必要がありませんでした。

一旦家に帰って、少し寝て、また会社に行く。そういう生活です。

社長からは「会社の近くに住んだら手当をあげるよ」と言われていました。

それも今考えるとおかしい話なんですけど、自然と会社の近くに住むのが前提みたいな会社だったんですよね。

月100時間ぐらい残業していたので、時給にしたら500円ぐらいだったと思います。

マジでとにかく眠かったです。めっちゃ眠かった。

好きな仕事でも、環境が辛すぎると嫌いになる

それでも当時の僕は、その業界で独立開業しようと思っていました。

いつか独立して、一流の職人になるんだと思っていたんです。

でも、

いくら好きなことでも、環境が辛すぎると絶対に嫌いになるんですよ。

これは恋愛活動とか婚活にも通じる話だと思っています。

僕が「あまりコンを詰めない方がいいよ」と言っているのは、この経験もあるんですよね。

コンを詰めすぎると、恋愛活動そのものが嫌になります。

noteを見るのも嫌になるし、女の子と喋るのも嫌になるし、女性を見るのも嫌になる。

最初は手を動かす仕事が好きなつもりで入ったのに、専門学校時代から続くいろいろな出来事と、ブラック企業での過酷な環境が重なって、僕はその仕事がめちゃめちゃ嫌いになっていました。

本当にそこまで追い込まれると、もう生物としての欲求しか残らないんですよ。

寝たい。

食べたい。

それだけです。

帰って、寝て、食べて、会社に行く。

その繰り返しの日々。

幸い土日は休みだったので、ちゃんと休んではいました。まあ、休日出勤になることも多々ありましたけどね。

入社3ヶ月目、mixi経由で街コンに行った

そんな中で、転機がありました。

入社3ヶ月目ぐらいの時、mixi経由でオフ会に行ったんですよ。

僕は友達を作りたかったんです。その頃の僕は、行動力だけはありました。

単身上京している時点で、行動力があるとは言われていたんですけど、昔から僕は結構行動力がありました。

オープンキャンパスにも1人でガンガン行っていましたし、1人の方が気楽だと思うタイプでした。

そしたら、それはオフ会ではなくていゆる街コンでした。今思うと参加費もやたら高くて、男性7,000円、女性3,000円だったし、今思えばわかるんだけどね。

当時の僕は20歳で、街コンという存在をよく知らなかったんですよ。

会場は、みなとみらいのおしゃれなカフェでした。

今はもうそのカフェはないんですけど、そこを貸し切って、席を順番に回るような形式でした。

でも、その会がやたらアタリの街コンだったんです。めっちゃ可愛い子がいました。みんな可愛かったんですよ。笑

その中でも特に可愛い子が2人いました。

その2人は湘南から来たと言っていて、片方はスタバで働いている女の子でした。

暇だから来た、みたいな感じだったんですけど、たまたまその子と同じ席になって、めっちゃ仲良くなったんです。

僕はその時ヒゲを生やしていたんですけど、めちゃめちゃかっこいいと言われましたり

その子と連絡先を交換して、今度江ノ島に行きましょう、みたいな話になり、僕は飛び上がるほど嬉しかったです。

「これが人生初のモテ期だ!!!」と思って浮かれまくってましたね。笑

そして、そこで鬼LINEをしてしまったんですよ。

要は、相手のメッセージに対して長文で返すみたいなことです。

その結果、普通にキモがられて、その子とは連絡が取れなくなりました。笑

でも、その経験が忘れられなかったんですよね。

「俺、モテるんだ」という変な勘違いが生まれました。

そこから、モテること、友達作りを含めて、オフ会や社会人サークル、街コン通いがめちゃめちゃ癖になってしまったんです。

手取り16万円で、土日は全部出会いの場に突っ込んだ

そこからはもう、土日は全部、街コンに行っていました。

でも手取り16万円ですからね。本当に泣けなしのお金を払って行っていました。

毎日、街コンのサイトを調べていました。街コンジャパンとか、エンジャパンとか。

仕事終わりに調べて、恵比寿とか目黒とかにも行っていました。

お金がないのに六本木にも行っていました。

でも、やっぱり街コンは高いんですよね。笑

その中で、オフ会や、つなげーと、ジモティーなどを知りました。

どうやら、そういう場所だと安く出会いの場に行ける。1回3,000円ぐらいで行けるんですよ。

そこから、そういう場所に行きまくるようになりました。

すると案の定、ネットワークビジネスの輩とか、そういう人たちが運営しているサークルにもバチバチに当たりました。

バドミントンのサークルに行ったり、専門学校の時からやっていたボルダリングのサークルに行ったり、ありとあらゆるサークルに行っていました。

土日は本当に遊ぶことだけ考えていました。

貯金もしないで、全財産を出会いの場に突っ込んでいました。

新宿の早稲田と慶応の合同でやっている早慶のインカレサークルにも行きましたね。今考えるとクッソ怪しいんですけど、新宿の歌舞伎町の奥の方にあるビルで行われるようなイベントにも行っていましたね。笑

突飛な行動力が、自分の視野を広げてくれた

ただ、頑張っても頑張っても彼女はおろか、友だちできませんでした。

でも、その突飛な行動力のおかげで、自分の視野はめちゃめちゃ広くなりました。

そういう場所に行っていなかったら、僕は自分が勤めている会社がブラックだということにも気づかなかったと思います。

世の中の人って、めっちゃ遊んでいるんだなと気づいたんですよ。

当時自分は21歳で、こんなブラックな会社で働いている。

このままここで働いていたら、将来、うだつが上がらず、マウントを取っているだけのおっさんみたいになるんじゃないかと思いました。

会社の人たちは、みんな「辞めたい、辞めたい」と言っていました。

でも辞めない。

アットホームで過干渉な会社で、飲み会も強制参加。

深夜1時まで飲み会があって、その33歳のリーダーのありがたい説教を聞かされる。

そして翌朝6時からまた仕事。

人もどんどん辞めていきました。

だから僕も、入社4ヶ月目ぐらいから「この会社を辞めよう」と思っていましたね。笑

ただ、当時は専門学校を卒業してまだ数ヶ月しか働いていない状態です。

そんな自分を誰が拾ってくれるんだと思っていました。

それでも転職活動をしながら仕事をしていました。

仕事へのやる気も全然なくなっていきました。

だんだん怒られるようになっていき、アットホームがウリだった会社の中で、僕は干されるような状態になっていき、仕事ができないキャラになっていたんです。

もちろん、自分が悪い部分もありました。

志していた仕事だったはずなのに、まったく幸せではありませんでした。

体力の限界が来て、欲求が消えていった

オフ会やサークル通いは、ある時期からどんどん加熱していきました。

でも3年目ぐらいになると、もう行けなくなってきたんです。

体力の限界でした。

吹き出物もめっちゃできるし、食べてもカロリーがどんどん消費されて痩せていく。

久々にバドミントンサークルに行った時には、周りから「痩せこけたね」みたいなことも言われました。

それぐらい過酷だったんですよ。

そこまで追い込まれると、人と繋がりたいとか、彼女が欲しいとか、そういう欲求もなくなっていきました。

ただ寝たい。

食べたい。

休みたい。

それだけになっていきました。

それでも、僕は行動力だけは化け物みたいにありました。

若者ハローワークのような社会支援をする団体の方々や、メンターの方にも非常にお世話になりました。

そうやって外部の人と繋がるきっかけを持てたのは、僕がオフ会や社会人サークルに行っていたおかげでした。

だから、自分の環境がおかしいと気づけたんですよね。

外の世界に出ていたからこそ、「そんなのおかしいよ」「辞めた方がいいよ」「不健康そうだよ」と言ってくれる人たちに出会えました。

そう、自分のいる環境がおかしい時ほど、外の世界に出ないと、その異常さに気づけないんですよ。

心療内科に通い、休職を決めた

結局、僕もその最初に勤めていた会社は2年勤めて、3年目の7月。適応障害で休職することになりました。

その時点で心療内科に通っていて、鬱一歩手前まで行っちゃっていたんですよ。

そこで、セルフヘルプグループみたいなところも行ってましたね。鬱の当事者が集まって話すような会です。

そこに行ったこともあって、いろんな人に休職を勧められました。

ありがたいことに、僕が通っていた心療内科の先生も本当に強く勧めてくれて、「必要だったら書くよ」「KYさんのタイミングで診断書を書くよ」と言ってくれました。

周りの後押しもあって、僕はなんとか勇気を出して、適応障害の休職届を書いてもらいました。

診断書を書いてもらって、休職することにしたんです。

その時のことは、本当に今でも覚えています。

当時の現場のリーダーに渡すんですよ。

いきなり社長に渡すと役職を飛び越えちゃうから、現場のリーダーに渡すのが定石だろうと思って、僕はその人に診断書を渡しました。

そしたら、すごく驚いていて、

「いや、でも最近仕事できてたじゃん。調子良かったじゃん。なんで?」

みたいな感じで問い詰められました。

でも、本当にもうメンタルはボロボロだったんです。

不思議なことに、限界のリミッターが外れちゃうと、自分でも限界がわからないんですよね。

僕はガリガリに痩せ細っていたし、他人から見たら全然限界だったんですよ。

けど、怖くて言い出せなかった。

要は、周りがもう敵になってしまう環境だからです。

自分の所属しているコミュニティに反旗を翻して辞めるっていうのは、それぐらい怖いことなんですよ。

でも僕は、その上長に、

「診断書をいただいたので、休職をさせてください。ドクターから言われていて」

と言いました。

その時のことも今でも覚えています。

当時の僕はお金がなくて、カップラーメンばっかり食っていたんですよ。

そしたら、その上長が半笑いで、

「KYくんさ、カップラーメンの食べ過ぎじゃないの?」

って言ってきたんですよ。

終わってますよね。

でも正確に言うと、その時も僕は「自分が悪いんだ」と思っちゃうんですよ。

やっぱりブラック企業とか、そういう限界の環境にずっといると、自分の視野ってどんどん狭くなっちゃうんですよね。

だから、その人に言われて、

「あ、俺が悪いのかも」

って一瞬ためらったんです。

でもその時に、いろいろ話を聞いてくれた自助会の人とか先生とか、いろんな人の言葉を思い出して、

「ここで引いたら変わらない」

って直感で思いました。

それで、もう押し通したんですよね。

休職中、地元に帰っても逃げられない感覚があった

そこからはトントンで、7月からその同年の11月まで、僕は4ヶ月間休職していました。

幸い傷病手当金という、休職した人が給料の何割かをもらえる制度があったので、それを申請して、最低限生きるためのお金には困りませんでした。

だから、ゆっくり休めたんですよ。

僕は急遽帰省しました。

親も本当にびっくりしていました。

ただ、怖かったのが、親に連絡が行っていたんですよ。僕が休職して地元に戻ってきた時に、僕は逃げていたのに、わざわざ社長から電話が来て、

「息子さんのこと、申し訳ありません」

と言っていたんです。

本人は良かれと思っていたのかもしれません。

社長のその行動に、人によってはすごく染みることもあると思います。

でも僕は、もうその会社で散々な目にあって、休職まで追い込まれて、休職で帰省しているわけです。

そこで連絡してくる時点で、人の気持ちがわかっていないんですよ。

その上長もパワハラで、社長もそういうビジネスモデルを全く変えずに、どんどん人が辞めていった。

居酒屋とか飲み会とかで断るごとに、上長とか社長が、

「こいつのせいで、もう今まで30人ぐらい辞めたんだよ」

みたいな感じで笑っていたのを覚えています。

本当だったら連絡しないのが筋なのに、そうやって連絡が来て、ただただ怖かったですね。

「あ、逃げられないんだ」

って思っちゃったんです。

多分、深層心理で社長も止めたかったんでしょうね。

それも、僕が純粋に辞めるのを止めたかったというより、その会社はサービス残業が常態化しすぎて、残業時間もめちゃめちゃ多かったので、労基のスタッフが何回も来ていたんですよ。

僕が辞めた後も立て続けに人が辞めたらしいし、僕の後輩も辞めています。

だから、これ以上退職者を出すとやばいという後ろめたさとか下心もあって、僕をなんとか引き止めたかったんですよね。

地元にいても、他の社員とか、その上長とか、僕のことをいじめていた先輩からも、めちゃくちゃLINEが来まくっていました。

逃げられないなと思いました。

ただただ怖かったです。

昼夜逆転しながら、少しずつ休んだ

地元に帰ってからも、やっぱり昼夜逆転しちゃうんですよね。

今までハードスケジュールで泥のように眠っていたけど、ハードワークがなくなったから、寝ようと思っても夜10時に床について、やっと朝4時に寝れる。

そうすると眠くなるから、昼の14時まで寝る。そんな感じでした。

部屋ではずっと、昔のYouTubeで『笑点』を見ていましたね。

狂ったように歌丸師匠と円楽師匠の掛け合いを見て、部屋で病的に笑っていました。

頭おかしかったと思います。笑

唯一救われたのが、その時BS11でやっていた深夜アニメです。

深夜アニメを見て、

「俺、もともとアニメが好きだったな」

と思って、ひたすらアニメを見ていました。

地元では黒歴史があって逃げたぐらいだから、友達とかもいなかったんです。

でも家族がご飯を作ってくれて、お寿司とか焼肉とかをご馳走してくれて、めいっぱい休ませてくれました。

海が近かったので、海にも連れて行ってもらいました。

ほんと、羽を伸ばして休めたと思います。

ただ、1ヶ月ぐらい経った時に、そろそろ戻ろうと思ったんですよね。

そこで、きっぱり会社を辞めようと思いました。

その時、親も悪気はなかったんですけど、最後に言われたのが、

「楽な仕事なんてないよ」

という言葉でした。

僕はもう限界だったから、ノルマがなくて、残業がなくて、本当に休みたかった。

「ノルマがなくて、残業がなくて、人間関係のいざこざがないところがいいんだ」

と言っていたんです。

その時に、

「あんた、楽な仕事なんてないよ」

と言われました。

傍から見ると、今は大企業に転職して、

「あの時、あんな調子いいこと言ってたのに、手のひら返しやがって」

と思う部分もありました。

でも親には親の事情があって、そう言ってくれていたし、よくしてくれていたから、そこも感謝しなきゃいけないところですね。

社長との面談で、辞める意思を伝えた

地元から当時住んでいた場所に戻って、会社の社長にLINEで呼び出されました。

社長が行きつけのカフェに連れて行ってくれたんですよ。

そこで、社長はもうずっと喋るんです。

「KYはどうしたいんだ」

と聞かれたので、僕はもうはっきり、

「辞めたいです」

と言いました。

でも社長は、僕がなぜ辞めたいのかを聞くというより、

「KYの言いたいことはわかる。うちは残業が多くて大変だし、作業的にもKYの負担が大きいから、KYに合わせて、鬱とかそういうのも合わせて業務改善するから」

と、ずっとその話をしてくるんですよ。

要は、僕が辞めたいという意向を全く聞かずに、ずっと会社に残る前提で話していたんです。

もう、いいことしか言わない。

社長は「社員を家族のように思っています」と、今でもウェブサイトに書いているぐらい、人当たりはいいんですよ。

外面はね。

でも都合が悪くなると、本当に都合がいい。

労基がたびたび来ていた時に、調査員に対して

「残業は彼らが勝手にやっていることなので、私は知りません」

ときっぱり言ったと聞きました。

又聞きですけどね。

だから都合が悪くなると、家族のように思っているはずの社員ですら、そうやって切り捨てる人なんですよ。イエスマンしか置きたくない人だったんです。

そこまでは当時の僕にはわからなかったけど、なんとなく直感で、

「こいつの言うことは絶対に信じられない」

と思って、きっぱり断りました。

でも向こうはすがるような感じで、

「わかった。じゃああと3ヶ月考えてくれないか。休職期間は一応社内規定で3ヶ月まで伸ばせるから。今回は特別、最初の1ヶ月分は無しにするから、3ヶ月考えてくれ」

と言ってきました。

そこから僕は、7月から11月まで、ずっと家にいました。

休職期間中、通う場所がない辛さを知った

家にいた頃は、本当にやることがないんです。

何が一番辛いって、お金がないこともそうなんですけど、通うところがないことなんですよ。

だから僕は、その鬱のセルフヘルプグループに月2回行ったりしていました。

平日ずっと働いていた人間が、急に毎日休みになるんです。

やることがないんですよ。

でも僕はもうその時点で会社を辞めると決めていたので、この休職期間中に次の職場を探さなきゃと思っていました。

ただ、一応傷病手当をもらっているということは、会社への応募はできないんですよ。

要は、転職活動として応募することはできない。

だから僕は、業界研究をめっちゃしていました。

すごく初歩的ですけど、『13歳のハローワーク』とかもその時に初めて読んで、

「あ、こういう仕事が世の中にあるんか」

「営業とか事務とかあるんだ」

と見ていました。

でも、いくら読んでも、転職サイトとかで業界研究しても、どこを見てもブラックにしか見えないんですよ。

みんな、やりたいこととか条件で探すじゃないですか。

でも僕は、

「こんないいこと言ってるけど、どうせここもブラックなんだろうな」

というバイアスがかかってしまっていました。

世間知が狭いし、トラウマも植え付けられている。

だから、次の一歩が全然踏み出せなかったんです。

そこでお世話になったのが、都内のハローワークとかでやっている行政のセンターとか、地域若者サポートステーションでした。

厚労省がやっている若者向けの復職支援みたいなところです。

カウンセリングがマンツーマンでついて、エクセルの練習とか、業界研究のセミナーとかをやっているところ。

そういうところに通っていました。

図書館にも行っていました。

そういう通う場所を無理やり作って、なんとかメンタルを保っていたんです。

あとはもう、ずっとアニメを見ていましたね。

当時、『青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない』というアニメがやってました。

サクッと説明すると、主人公が高校生の青春群像劇みたいな話なんですけど、それを見て、

「俺、何やってんだろう…」と、虚無感みたいなものがありました。

お金も発生していないし、税金で出ている傷病手当金をもらって生活している。

僕は何も生んでいない。社会に貢献していない。

そんな社会から取り残されている感覚が、めちゃめちゃきつかったですね。

でも、ずっとだらだらしていました。

行きたい業界とか会社があるかと言われたら、全くなくて、正直、地元に帰ろうとも思っていました。

リワーク支援が、会社を辞めるきっかけになった

その時に、ちょうどマンツーマンだったハローワークのメンターの人が、

「いや、もったいないよ」

と言ってくれました。

「そこまでKYくんが言うんだったら、リワーク支援っていうのがあるから」

と教えてくれたんです。

ハローワークの行政で、ニートとかフリーターとか、働いたことがない人たちとか、僕みたいにメンタルを病んでいた人たちが集まって、いろんな復職のためのセミナーを受ける2ヶ月通所のグループワークがあったんです。

僕はそれに参加することになりました。それが11月で、僕はもうここだなって直感的に思ったんです。

目的がバッチリ明確化した瞬間に、

「もう会社を辞めよう」

と思いました。

だから社長を呼び出して、

「辞めます」

と言ったんです。

その時、おめでたいことに社長は、迎えに来た車の中で、

「そろそろ戻る気になったか、KY」

と言ってきました。

でも僕は、

「いや、もう辞めると思って呼び出しました」

と言いました。

そこから、社長の残留交渉がずっと始まりました。

「給料も上げるし、負担がない事務作業にする。製造の現場じゃなくて、事務作業だったら得意そうだし、KYがどうやったら会社に残れるか、生かせるかっていうのをみんなで会議して考えたんだ」

と言っていました。

でも僕は、

「こいつ、本当に口だけだな」

と思っていましたね。笑

みんなを呼んで会議したと言うけど、現場が忙しいのはわかっているんですよ。

それなのに、辞めるかもしれない人間のために2時間も3時間も会議を開く時点で、社長は現場がわかっていないし、きっとみんな辟易していたでしょう。ビジネス感覚も全くない。

そもそもサービス残業なんて、言ってみれば給料の未払い。それがある時点で、ビジネスモデルとして成り立っていないし、そんなことをビジネスとしての手腕がない。

「こいつについて行っちゃいけないな」

と直感的に思いましたね。その時も怖かったです。

社長や会社に反旗を翻すのが怖かった。

でも、なんとか押し通して、最終的には諦めてもらいました。

会社を辞めた瞬間、僕がいた会社が小さく見えた

そこから1週間ぐらいで荷物をまとめました。

でも会社に行くのも怖かったので、一応近所だったから、みんなが寝静まった深夜に会社へ行って、デスクを全部片付けました。

本当に最後の挨拶もしないつもりでした。

ただ、当時先輩だったメンヘラの女の先輩がいたんですけど、その人に、

「何も言わずに逃げるのは卑怯だと思うよ」

みたいに言われて、そこは一応、僕が折れたんですよね。

一応、最後の挨拶だけしました。

でも、辞める挨拶をした瞬間。

会社の社屋の前にみんないなくなった瞬間に、中指を立てられるぐらい、

「なんでこんなことで悩んでたんだろう」

と思ったんです。

なんでこんな奴らのために、ここまで悩んでいたんだろう。挨拶をして会社を出た10秒後ぐらいには、もうそう思っていました。笑

だから僕が常々言っているのは、人は環境には抗えないし、その環境を出た瞬間に、その環境のクソさがわかるということです。

今ブラック企業に勤めていたり、辛い学校とか、辛い場所でいじめに遭っている人にも声を大にして伝えたいんですけど、

学校を卒業したり、異動したり、会社を辞めたりして、その環境を離れたら、今あなたが辛いと思っている環境はちっちゃく見えるんですよ。

あなたをいじめたりしている人って、井の中の蛙よろしく、しょせん小さいコミュニティで偉そうにしている人たちなんですよね。

僕はそれを伝えたくて、この記事を書いているところもあります。

リワーク支援で、初めて仲間ができた

その後、僕はリワーク支援に通いました。

そこで初めて仲間ができて、同じ境遇で悩んでいる人たちに会いました。

そのおかげで、劇的にメンタルが回復していきました。

その中で、僕は漠然と、自分が何を仕事にしたいというよりも、

自分の”ライフ”、要はプライベートの充実を大事にしたいと思うようになりました。

将来恋愛して、結婚して、キラキラした友達に囲まれて、季節ごとにバーベキューに行ったりして、自分の趣味にも打ち込める。

最愛の恋人が横にいる。

本当に充実した生活を送りたい。

だから、それが叶えられる給与と時間が確保できる業界を探そうと思ったんです。

何かをやりたいから仕事を探すというより、自分の人生の夢を叶えたいからこそ、逆算で仕事を探す。

その会社に入った当時とは真逆の思考で仕事を探しました。

その結果、めちゃめちゃ業界研究を頑張りました。

ハローワークでやっていた業界研究のセミナーも毎日行っていましたし、いろんな業界の営業マンの人とかが来て、その講演をひたすら聞いていました。

僕は行動力がバケモンみたいにあったので、学生限定のインターンシップに、社会人なのに知らずに参加したこともあります。

でも、

「いいよ。年齢的には大学院卒と同じような年齢だから」

と言われて、23歳だったので参加させてもらいました。

製造業、ゴミ収集の会社の営業マン、施工管理、医薬系の薬を作る製薬のMRなど、いろんなインターンや説明会に行って、いろいろ勉強しました。

ただ、どこに行ってもブラックにしか見えませんでした。

オフィスが汚かったり、事業規模が小さかったりすると、

「ここもきつそうだな」

と思ってしまう。

でも、めちゃめちゃ頑張って情報収集はしていました。

なかなか自分が安心できる会社は見つからなかったんですけどね。

情報収集を続けていたから、今の会社に出会えた

当時、僕はリクナビに登録しました。

そこのスカウトサービスで、僕は製造の仕事、手先を使うものづくりの仕事をしていたので、

「精密機器の外資系大手企業のメーカーで技術職をやりませんか」

というスカウトが来たんですよ。

僕はたまたまその業界を知っていました。

僕みたいな製造業の人が次に行くキャリアとして、精密機器や半導体のメーカーがあるけれど、求人数はめちゃくちゃ少ないという話が、都市伝説レベルで業界では囁かれていたんです。

たまたま情報収集をしていく中で、僕はそれを知っていました。

だから、そのスカウトを見た瞬間に、

「ここだ」

と直感で思いました。

なぜかというと、日系企業ではなくグローバル企業だったからです。

グローバル全体で見れば、事業規模も人数もめちゃくちゃ大きい。

取り扱っている精密機器の商材も、100万とかの単価がするものです。

大量生産でやっていて、単価はおそらく安い。

5万円ぐらいのコストで、大きい利益が取れる商材を扱っているとしたら、当然、資金は潤沢にある。

資金に余裕があれば、経営にも余裕が出ます。

しかも市場的にも強くて、ニッチな市場でした。

ベンチャー企業とか、IT業界の新しい企業みたいな感じではなく、精密機器や半導体を作るとなると、工場を建てるだけでめちゃくちゃお金がかかります。

詳しい業界は言いませんけど、その精密機器の業界も、競合他社が少なくて、ほぼグローバル企業が占めているようなところでした。

「これは競争が少ないブルーオーシャンのマーケットで、しかもそのセクションで製造、ものづくりの仕事ができる」

と思ったんです。

今さら営業マンとか、全然畑の違う仕事はできない。しかもメンタルもやっていた。

でも、ものづくりには携わりたい。

そう考えた時に、全部が合致したんですよ。

だから僕は、情報収集でとにかく行動して情報を集めていたことによって、そのスカウトを見た時に、

「そこだ」

とビビッと来たんです。

ずっとアンテナを張っているって、めちゃめちゃ大事なんですよ。

そのために行動することも大事です。

僕はそこに応募しました。

ただ残念なことに、正社員で応募した時は、経験年数が足りないということで落とされちゃったんですよね。

でもその会社を諦めきれなくて、僕はその業界に絞りました。

精密機器で、半導体を扱っていて、商材の値段が大きくて、生産コストが少ない業界。

「僕はここに行くんだ」

と決めて業界研究をしていたら、たまたま紹介予定派遣の募集が出たんです。

数ヶ月経った後に、その会社に入社する前提の派遣雇用です。

企業名は非公表だったんですけど、住所を見たらその会社だったんですよ。

そこに応募しました。

そうしたら派遣会社のスタッフさんもすごくいい人で、たまたま運もあって、なんとかその会社に入れたんです。

だから僕は、自分の行動力や情報収集のおかげで視野を広げて、今の会社に入ることができました。

今の会社はもう7年目です。

そうやって社会復帰できて、今こうやってブログを書けるぐらいになった。

その後、紆余曲折あって、ナンパとか、ナンパ師としての活動があって、オフ会とか社会人サークルに行きまくって、結婚して、離婚も経て、今の自分があるわけです。

こういう話を笑い話にできるぐらい、成長できたんですよ。

人生が変わったのは、外の世界を見たから

今のワタクシ、KYがあるのは、その会社のおかげでもあります。

そして、僕が頑張って情報収集して、行動しまくって、視野を広げたおかげでもあります。

もっと言うと、一番最初に参加した街コンとかmixi経由のオフ会で、

「世の中の人ってこんなにキラキラしてるんだ」

と知ったことが大きかったんです。

ブラック企業以外の外の世界のコミュニティを知っていたから、僕は逃げることができました。

何より、僕が行動してきたことで、いろんな仲間ができました。

自助会の仲間もそうです。

派遣会社のすごくよくしてくれたスタッフさんもそうです。

その縁があって、今の会社の人たちにも出会えています。

本当に、捨てる神あれば拾う神ありなんですよ。世の中って。

だから僕、常々言っているじゃないですか。

コミュニティは一つに絞らない方がいい。分散した方がいい。

家と会社の往復だけだったら、つなげーとでもオフ会でもいいから、外に出てみなよって。

恋人が欲しいんだったら、マッチングアプリもアリ。それだけじゃなくて、オフ会とか社会人サークルに行く。

趣味を持つ。

そういうことを僕は言っているじゃないですか。

なぜ僕がそう言っているかというと、この経験があるからなんです。

視野が狭まると、人間って本当に、生きるか死ぬかみたいな極端な判断になっていきます。

だから僕は、このコミュ力向上キャンプを通して、恋愛とか婚活だけじゃなくて、人生をより良くしたい人の手助けをしたいと思って、こういう発信をしています。

その発信をしようと思うルーツになったのが、この出来事です。

本当に人生が好転したのは、動いたからです。

視野を広げて、環境を変える努力ができたからです。

劣悪な環境にいると、人は他人を否定し始める

ある時、僕が辞めて数年経った後に、同業の人から連絡が来ました。

元同業の人から、

「KYくん辞めたの?」

と言われたのです。

たまたま、前の会社と仕事上で付き合う機会があり、そこで僕が辞めたことを知ったようでした。

その人は入社前にお世話になった人ではあったんですけど、

「KYくん、辞めないでほしかったな。3年ぐらいやってほしかったな」

と言って、その後ずっと延々と自分の話をする人だったんですよ。

要は、辞めた僕が気に食わなかったんだと思います。

その人もやっぱりその業界にいたから、ずっと辛い思いをしてきたんでしょう。

とにかく自慢話がすごかったんですよね。

「ここのクライアントの仕事をやってる」

みたいな話もしていました。

まず社外秘なので、そういうクライアントの情報を一般の人や部外者に教える時点で、その人は倫理観が欠けていますし、仕事に対する責任感も全然ないと思います。

そういう自慢話と、僕への八つ当たりみたいな話をずっとしていました。

その時に思いました。

「昔の環境と縁切りできてよかったな」

って。

劣悪な環境にいると、みんな弱い人をいじめちゃったり、自分の存在意義を確立するために、自分とは相入れない人を否定したりするんですよ。

たとえば、前の業界もそうですけど、

「俺らはこんなきつい思いをしてるのに、なんでお前だけ先に逃げるんだよ。許せねえよ。ふざけんな」

みたいな感じで後ろ指を指したりする。

あるいは、恋人ができなかったりしている人が、

「女なんてクソだ」

とか、

「結婚してる奴はバカだ」

と、相対する意見を批判してしまう。

でもそれって、自分が立つために、自分と相入れない意見を否定しているだけなんですよ。

そんなの、ダサいですよね。

別に僕は、結婚しようが、恋愛しようが、結婚しなかろうが、恋愛しなかろうが、友達作りをしようがしまいが、全然どっちでもいいと思うんですよ。

好きにやればいい。

ただ、その力がなくて、自分とは相入れない人たちをまるで酸っぱいブドウみたいに言うのはダサいです。

それは人に迷惑をかけるし、何より自分に嘘をついていることになります。

だから、皆さんには、そういう生き方はやめてほしいんですよ。

そういう人も見たくないし、僕は大嫌いです。

だから、この記事を熱心に読んでくださって、日頃から頑張っている皆さんにはそうなってほしくない。

そんなダサい人になってほしくないんです。

前の会社の末路と、アットホームの危うさ

その会社には結局、僕が辞めた後に労基の指導が入って、会社名が変わりました。

僕のことをいじめていた、その女性の先輩も辞めました。

消息はわかりません。

SNSもやっていたけど、投稿も全部止まっていました。

前の会社には、僕の後輩に天才みたいな子がいたんですよね。

技術力もあって、コミュ力も高い子でした。

その子も社長のお気に入りになったんですけど、早々に辞めて、地元に帰って独立開業しました。

その子はSNSをやっているんですけど、そこでも明らかに前の会社の悪口、前の会社のここはいけなかった、みたいなことを書いていました。

名指しではなく匿名で、

「こういう会社はやめとけ」

みたいに書いていたんですけど、

「もう明らかに前の会社のこと言ってるな」

内情を知っている僕からすれば、そう思うぐらいでした。笑

それぐらい、どんどん人が辞めていったんですよ。

だからその会社の社長も、当時僕のことをいびっていた上長も、その世界にいるとすごく大きな存在に見えるけど、

辞めたら本当にちっぽけな存在に見えるんですよね。

「なんだ、ただのイタいおじさんじゃん」

と思うんです。笑

話が長くて、メンヘラで、自分が立つために人を批判したり、後ろ指を指したり、人を騙して会社に入れてこき使って、メンタルを壊したらバイバイみたいな感じでもある。

結局、アットホームな会社っていうのは、こういうふうにビジネスをなめているところがあるんですよ。

ビジネスはビジネスとして、やっぱり切り分けなきゃいけません。

会社の人たちは友達でも家族でもないですよ。

やりがいがあって、仲間意識が芽生えるのはいい。

でもベタベタするのは絶対に違います。

そこの線引きができていない時点で、マネジメントができないんですよ。

そういう人が社長になっちゃうと、独りよがりの経営になって、イエスマンばっかり集まって、本当に混沌とした環境になります。

仕事選びで大事なのは、結局「民度」。

反対に、今の会社は本当に当たりでした。

やっぱり僕の判断もある程度当たっていて、ビジネスライクなんです。

本当に役職がすごく上の人なのに、僕に対して敬語で、腰を低く、対等に接してくれる人もいます。

コミュ力が高い人たちが集まった、民度の高い会社に行けたんですよ。

そこの人たちの民度がいいということは、心の余裕を持てるだけの潤沢な利益を出していて、風土的にも余裕のある人がたくさんいるということです。

そうすると、コンプライアンスもしっかりします。

ビジネス的にも強いところは、さらに強くなるんですよ。

働いていてもミスも少なくなるし、疲れによるミスも少なくなる。

ある程度の秩序が保たれるんですよね。

その民度を判断するには、商材とかビジネスモデルがちゃんと破綻していないかを見る必要があります。

僕が見ているのは、商材の値段が高くて、そこに対する利益が大きいけど、生産コストはめちゃめちゃ少ないという、うまい商売をしている業界です。

かつ、ブルーオーシャンなところ。

IT業界みたいに加熱しているところではなくて、

たとえばAIの半導体が今盛り上がっているとしても、その半導体そのものではなく、半導体を作るロボットアームみたいに、一段視座を上げたり、軸をずらしたりすると、結構ニッチな業界になるんですよ。

そういうニッチな業界で強いところ。

新規参入が簡単にできないような業界を狙うと、民度はおのずと良くなるんじゃないかなと思っています。

今いる環境が、世界のすべてではない

今日はかなり自分語りが多くなってしまいました。すいません。笑

でも、まとめると、今目の前にある環境がすべてではないということです。

だから僕は、視野を広げるために、ちょっとずつでいいから外の世界を見てみることをおすすめします。

1歩でもいい。

0.5歩でもいい。

外の世界を見てみる。

コミュニティを分散する。

これは本当におすすめします。

家と会社の往復だけになっている人は、少しだけでもいいから別の場所に行ってみてください。

趣味でもいいし、オフ会でもいいし、社会人サークルでもいい。

恋人が欲しいならマッチングアプリでもいいし、恋愛以外のコミュニティでもいい。

大事なのは、自分の世界を一つの場所だけに閉じ込めないことです。

僕はこの経験を通じて、コミュ力向上キャンプとして、皆さんの恋愛とか人生を応援する身だしなみ、会話テクニック、そして自信やマインド形成の仕方なども発信していきます。

今後もどうぞよろしくお願いします。


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この記事を書いた人

コミュ力向上、人間関係の苦手克服について発信しています。地元で20年間イジメやイジりを受け、告白した子にはフラれ、逃げるように上京。その後オフ会や社会人サークル、街コン、アプリを始め、恋愛やコミュ力向上の情報商材などで8年間で500万投資。現在は自他共に認める”コミュ力おばけ”に。このブログではそんなノウハウを公開しています。

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